第4話

61年7月21日、僕は東京・大手町の産経ホールで作曲家の中村八大さんのリサイタルを聴いていました。 そのリサイタルの為に新たに作曲された曲を坂本九が歌ったのです。

曲名は「上を向いて歩こう」。素晴らしいメロディと歌詞でした。作詞の永六輔さんと作曲の中村八大さんは61年に始まったばかりのNHKの音楽バラエティ番組「夢で逢いましょう」で脚本と音楽を担当していました。番組の「今月の唄」として、10月・11月の2か月間オンエアーされることになり、レコードの為の録音は当時東芝レコードの本社があった有楽町の朝日新聞社ビル(現在のマリオン)にあった大阪朝日放送のスタジオを借りて行いました。(まだ東芝レコードは自社スタジオを持っていなかったため)。10月15日の発売と同時に売れはじめました。その頃はまだオリコンも無い時代で、レコードの売り上げにランクをつけることは無く、唯一「ミュージック・ライフ誌」の「今月売れているレコード」というページで大手レコード店の売り上げを掲載していたくらいでしょう。面白い話としては大阪支店で「上を向いて歩こう」と書いたのぼりを交差点の角々に立てたら警察から”上を向いて歩いたら危険だからすぐに撤収しろ”と言われた、という笑い話のような出来事もあります。
その時は、後に「スキヤキ」となって全米第1位になることなど想像もしていませんでした。

8月頃アレンジャーの大沢保郎さんから女の子のオーディションをしてくれないかという依頼があり、スタジオで逢うとセーラー服を着た中学生の子でした。最初の曲「オーバー・ザ・レインボウ」、二曲目の「アレキサンダース・ラグタイム・バンド」を聴いてビックリギョウテン・ウチョウテン・コロリトイカレました。(兄のパクリ。笑)。他社のオーディションに何度か落ちて僕のところに来たようでしたが、どうしてこんな素晴らしい素材が他社にとられなかったのだろうと、その場で即決。すぐに契約しましょうとなった。ちょうど洋楽のへレン・シャピロのデビューに合わせてカップリングも邦洋同じで「子供じゃないの」「悲しき片想い」で行くことになり、作詞は漣健児に頼みました。それ以降、弘田三枝子と漣のコンビでヒットが連続して行くことになります。

ジャケットで「子供ち”ゃないの」と「ち”ゃ」になっているのは、僕にも謎で、自分の書いたレーベル原稿には、ちゃんと「じゃ」になっているのです。他人のせいにするわけではありませんが、ジャケットのデザイナーが間違えたのかも(ただし校正はディレクターの仕事でした。笑。)

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2012年10月27日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

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