第2話

1弾目ヒットのおかげで九坊とパラキンはテレビを通じて人気者になって行きます。すぐ2枚目の企画をと考えている時、洋楽部の高嶋(弘之)ディレクターからブライアン・ハイランドという新人の曲をカバーをしてくれないかとの話があり「ビキニスタイルのお嬢さん」を60年9月に洋邦同時に出そうと話がまとまりました。訳詩を岩谷時子さんにお願いし録音も順調に仕上がりました。A面プッシュだからB面はその頃九坊がジャズ喫茶でカタカナ英語で歌っていた「グッド・タイミング」にしようと決め、訳詩を手近なところにいた兄貴(草野昌一)に「ねえ、急ぎなのでちょっと書いてくれない?」と頼みました。
彼はそれまで歌本にのせるためにいろいろ訳詩をしていましたが(代表作が「赤鼻のトナカイ」です)、レコードになるのは初めなのでペンネームということで、つけた名前が「漣健児」でした。発売になると九坊の人気でパラキンのコーラス中心のA面より、B面の「ステキなタイミング」の方がテレビなどで多く歌われました。ビキニよりタイミングの方がヒットしてしまったので私はしばらく岩谷さんに会いにくかったです。

「月影のナポリ」「メロンの気持ち」が順調に伸びていた森山加代子の3枚目から私が担当することになり「月影のキューバ」(60年10月)もヒットの仲間入りをします。
60年12月には映画「アラモ」の主題歌「遥かなるアラモ」と挿入歌とカップリングの でパラキンのコーラスをメインでリリースします。デビュー1年目はシングル4Wの制作でした。森山の所属するマナセプロの社長が面白い歌があるからこれを素材に何か出来ないか?との話がありそれが「じんじろげ」でした。旧三高(京大の前身)やボーイスカウトなどで歌われていて私も聞いたことのあるものでした。中村八大さんがオリジナル部分を付け加えて渡船人さんが詩を書き足して出来上がり、61年1月に発売し大ヒットします。

その後雑誌、ラジオ等から「じんじろげ」の意味の問い合わせが毎日のようにあり、いろいろ文献を調べたりして多分インドの雨乞いの歌ではないかといところまでわかりました。
「ムスターファ」と「ジンジロゲ」の全部の意味はいまだにわかりません。

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2012年8月25日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。