1960年初期になると高度成長も進み、三種の神器といわれたテレビ、電気冷蔵庫、洗濯機もそろい、ステレオ・プレイヤーをそろそろという時期でした。
50年代はまだレコードはSPといわれる78回転のシェラック盤(落とすと割れる)が一般的で、僕が東芝に入った60年でも演歌系のレコードはSPと45回転のドーナツ盤(17センチ〕が同時に発売されているものもありました(現在でも演歌系の曲はCDとカセットテープが同時に出ている)。ポップス系のものは45回転のドーナツ盤(塩化ピニール製なので落としても割れない〕だけで発売していました。
プレイヤーの普及と共にLPの制作が増えてきましたし、まだ有線放送も無い時代で喫茶店やホテルのラウンジなどのBGMとしての需要もありました(今とちがってもっと街に音楽が流れていました〕。最初の頃は25センチ(10インチ)の盤で(初期はモノラル盤が1000円、ステレオ盤が1300円で同時に発売されていたものもあります)。30センチ盤は63年頃になってからです。初期はジャンル別の音楽が主で、当時の東芝レコードではエセル中田・大橋節夫等のハワイアン、ウエスタン(現在のカントリーミュージック)、藤沢嵐子のタンゴ、芦野宏や越路吹雪のシャンソン、ダンス音楽、ジャズ(鈴木章治のクラリネット、松宮庄一郎のギター等をフィーチャーしたもの)、スター歌手のベスト曲集などが出ていました。
僕も61年2月の「九ちゃんとバラキン」を皮切りに森山加代子、ジェリー藤尾のアルバムを制作。61年10月に初めてのインストルメンタルのアルバムにステレオで挑戦。
「宮間利之とニューハード」ゲストプレイヤーに江草啓太さんの話に出て<る「宮沢昭」、まだバークレー音楽院に留学前の「渡辺貞夫」を迎え当時の最新映画のテーマを集めた「スクリーン・ヒット・バレード」。続いて「渡辺貞夫」さんのアルト・サックスをフィーチャーしてムード的な曲を集めた「夢であいましょう」というアルパムを制作しました。
この原稿を書くに当たり久しぶりにアナログLPをかけてみました。盤のほこりを払い、回転数を合わせ、ターンテープルを回し、針がうまく溝にのるかドキドキして、バチバチとノイズの後に溝をたどる針音がして音楽が始まる。レコードを聴く時のこの高揚感をいつまでも大切にしたいと思ったのです。
(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年1月26日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。