前回スリー・ファンキーズのことにふれたので、今回はベニ・シスターズのことにふれたい。
60年代初期はガール・ポップ的なものといえば、まずザ・ピーナッツが患い出される。他にはもう少し年齢の高い大人のコーラス・グループ「黄色いさくらんぼ」のスリー・キャッツ、「山のロザリア」のスリー・グレイセス、スリー・バブルス、トリオ・こいさんず、ダイヤモンド・シスターズ等がテレビ、ステージで活躍していたが、ザ・ピーナッツ以外のグループはポップ系というよりジャズ的なイメージが強かったようです。
その頃スリー・ファンキーズや弘田三技子がよく出演していたジャズ喫茶「新宿ラ・セーヌ」に可愛い三人姉妹のグループが出演していて、歌って踊るし、姉妹なのでコーラスも良くハモる。進駐軍のキャンプやナイトクラブ、キャバレーなどでスタンダード・ジャズを歌いながらタップを踏んで、アンドリュー・シスターズやマクガイヤー・シスターズのコピーをやっているらしい。早速聴きに行き、東芝でやりましょうとの話がまとまりました。
当時アメリカでは黒人、白人共にガール・グルーブか大流行していたで僕もガール・ボップ・グループをやってみたいとの思いと合致。ザ・ビーナッツは二人だけど、こちらは三人組だからコーラスも厚みが出るかも…そんな考えでデピューさせることになりました。
佐久聞早苗(当時19)、洋子(17〕、道子(15)の三姉妹を日本初のティーンのアイドル・グループに育てようと、デピューはアルバム・シングル同時発売にしました。アメリカで流行っているフィル・スベクター風のものより日本人好みのキャンディ・ポップ系の曲を選曲し、三人組のザ・ピーナッツを意識した制作を心掛けました。
62年7月「ベニ・シスターズ・ヒット・バレード」のタイトルで8曲入りのアルバムとアルバムからシングルカットレた「あなたを愛して(イタリアンボップス)」を同時発売しました。その後「レモンのキッス(ナンシー・シナトラ)」「ジム・ダンディ(アン・マーグレット)」「いちごの片想い(ナンシー・シナトラ)」「シンデレラ・ジョーン(アネット)」「ラッキー・リップス(アルマ・コーガン)」等8牧のシングルをリリース。
大ヒットは出なかったけれど後のゴールデン・ハーフ、キャンディーズ、ピンク・レディーにつながるガール・ポップ・グループの原点になったと思っています。あれからもう50年も経ってしまった、彼女達の消息をご存じの方がおられたら、こっそり教えてください。
(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2012年12月22日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。