第8話

1961年7月の初旬、課長の松田十四郎さんから新しい企圃をやるからちょっと手伝ってくれ、と呼ばれました。
僕が60年4月に入社した時には松田さんはポピュラー系のディレクターで、第一回のレコード大賞「黒い花びら」や森山加代子のデビュー作「月影のナボリ」などの制作をされていました。

(映像は「水原弘 プレイバック」)

60年10月に東芝電機レコード事業部から東芝音楽工業株式会社として独立した時に管理職になられ、現場からはなれていたのですが、今回の企画は渡辺プロが初めて企画・制作する作品で、フジテレピの「おとなの漫画」などで人気者だった「ハナ肇とクレージーキャッツ」の録音でプロデューサーが渡辺晋ということもあり、現場に戻ってこられたのですが、僕は久しぶりにアシスタントで出番です(これが外部原盤制作の第一号でした)。
「おとなの漫画」から生まれた流行語「こりゃシャクだった」を使った曲と、植木さんが麻雀をやる時の口癖を使った「スーダラ節」の録音です。作詞:青島幸男、作曲編曲:萩原哲晶のコンビで、青島さんとはすでに何本か一緒の仕事をして知り合いでしたが、萩原さんとはこれが初仕事でした。当時の録音はミュージシャンが全員スタジオに入り、せーのーで同時録音があたりまえでした。
その日のメンバーは「宮間利之とニュー・ハード」プラスアルファのメンバーでしたが、その中にいつもの録音にはあまり縁のない効果音のおじさんがいました。その人は、音の出るものであれば、ありとあらゆるものを持っていました。赤ちゃんのガラガラとか、ロバの顎で作ったキハダとか、口の中で共鳴させるジュース・ハープ、のこぎりを楽器に整う等を初めてそのおじさんから見せてもらって知ったのです。
やがて一斉に滴奏が始まると、今まで聴いてきた音とは明らかにちがうのです。まるでフルバンドのチンドン屋さんみたいな感じで、ミキサールームでは大笑いがおきるし、スタジオのなかでも木琴の女牲が吹き出して何度もNGが出たりしてカラオケがやっと出来上がりました。それまでもスバイク・ジョーンズのレコードも聴いていましたが、実際にスタジオで生の音に接するとびっくりして感動しました。これから何度もお世話になる萩原サウンドとの初めての出会いでした。

「スーダラ節」のレコードジャケット

企画会議の段階では「こりゃシャクだった」がA面候補でしたが、録音が終わった時点で「スーダラ節」で全員決まり、という空気でした。
ちょうど始まったばかりの「シャボン玉ホリデー」の中でクレージーの人気もどんどん上がって番組でも歌われ、あっという間に大ヒットになりました。映画も作られ、レコードの企画もシリーズ化されることになったのです。

(映像は「クレイジーキャッツ映画のダイジェスト映像」)

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年2月23日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

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